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OHYC遠征記
2011.8.28 OHYC第6回クラブレース
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Calipuso 怒りのファーストホーム!
暦の上では秋であるのに、大阪湾の上には真夏の太陽が「これでも喰らえ!」と強烈に照りつけていた。前夕の豪雨は何かの夢であったようである。
そんな中、カリプソが徳島での鬱憤を晴らすような走りを見せ、ファーストホームを遂げ優勝を得た。
皆さんこんにちは、記者ジェームス・Uです。今回は、編集者のご指示により、夏の特集の一環として、徳島・阿波踊りレースのレポートに続いて、OHYC第6回クラブレースの模様をレポートします。今日も記者はConstanzeに席をお借りしたので、レポートはどうしてもコンツェチームに周囲に限られてしまう。本来であれば参加全艇の動きをレポートすべきではあるが、限られた艇のレポートとなることを、予めお詫びしておきたい。
この朝は先ずコミッティからしておかしかった。レーススタート30分前になってもコミッティボート「たけなわ」の姿が見えない。やっと現れたと思ったら、マーク用のアンカーを持って来ていない。更に、アンカーを参加艇から借り出しても、ロープを結ばずにレッコして、満場の笑いを誘う。一体どうしたのか?
(この失態は長く語り継がれることとなるであろう。)
《レース実況》
空を見上げても雲ひとつないが、レース海面には波乱を予感させる何かが立ち込めているようである。
浮足立ったコミッティがそんなこんなで十分なコース設定ができないまま、定刻とおりにスタートとなるが、天神祭奉納レースと同様に、潮というより淀川の流れに翻弄されたレースとなってしまった。
今回、貧乏籤を引いたのはManatee-SunLuckと言えるのでないか。強力メンバーを編成し、いち早く出港し、レース海面で練習に余念がなかった。だが本番のレーススタートでは、大型艇のブランケに追い込まれて、仕方なくタックを返されて、そのまま淀川の真中へとコースを伸ばされてしまった。この朝の淀川は、引潮と共に昨夕の豪雨の放水とが重なり、尼崎4番ブイは大変な流れを示していた。サンラックチームは正にその強い反流の真っただ中へと突っ込んで行かれたのである。合掌。
もし、同チームが一文字堤防へとラインを伸ばされておれば、結果は又違ったものになっていたと考えるのは記者だけではないはずだ。(冒頭の写真の右端の艇がサンラックチームである)
他方、Manatee-SunLuckのライバルである、EaryBird、CalipusoとConstanzeは一文字堤防へとラインを伸ばし、第一上マークでは、この3艇に優勝争いは絞られることとなってしまった。
第一上マークではアーリーチーム、次いでカリプソチーム、コンツェチームの順であったが、コンツェチームはかなり遅れての回航となった。第一下マークではコンツェチームは少し追い上げ、いよいよ問題の第二上へ向かうレグとなる。
ここで記者は見た。
あろう事か、アーリーチームが何かに魅入られたように、淀川河口へのラインを引かれたのである。こうなると俄然コンツェチームは強気になり、照準をカリプソチームへと定めて追走することとなる。とうとう第二上マークでは3艇間の差がなくなり、団子状態でのガチンコ回航となったが、残念ながらここでコンツェチームは痛恨のミスを犯す。
淀川の流れに捉まってマークタッチ寸前となり、余分にタックを重ねての回航となった。
この頃になるとレース海面には殆ど風がなくなり、参加全艇が僅かなパフを捉えてはレグを伸ばすという我慢比べとなる。上位3艇以外の各艇も、ギラギラと輝く陽差しの下で汗だくになりながらのマークへのアプローチが続いている。
コース短縮となり、フィニッシュポイントとなった第二下マークには、ジェノアと巨大なジェネカーをフルに使って僅かな風を捉え続けたカリプソチームが大差を付けてファーストホームとなった。
カリプソチームさん、さすがでかいセールは絶大な効果がありますね。
次いで僅かな風を拾いながら、アーリーチームのラインの内側を走り続けたコンツェチームが、とうとうアーリーチームをかわして2位フィニッシュ。見事、徳島での雪辱をはたすこととなった。
アーリーチームは、悔しい3位となった。
EaryBirdさん
アーリーチームとしては、第二上へ向かうレグでの右海面選択に悔いが残っておられるのではないだろうか。チームオーナーの地団太を踏む姿が見えるようだが、踏み過ぎてデッキを痛めなければいいのだが。
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その後、後続艇はしばらく無風に近い状態に苦しめられたが、13時を過ぎる頃から、いつものシ―ブリーズが神戸沖から届き、レース艇を後押しすることとなり、フィニッシュを迎えることとなった。
参加艇の皆さん、本当にご苦労様でした。
《同乗艇紹介》
レース前の寛ぎの時間
さて、今回のコンツェチームはいつもと変わらず♂ばかり8人での参戦となったが、二人の助っ人を招聘されていた。「qp.COMの藤田氏と田頭氏である。同チームの天神祭奉納レースでの活躍を記者も見ていただけに、この助っ人が今回も有能な傭兵としての実力を見せるか、それとも噂だけの平凡な派遣さんで終わるのかは大いに興味があった。
結論から申せば、このお二人の仕事振りはコンツェチームの3位獲得に大いに貢献されたと申せよう。田頭氏は凄腕金融マンとのこと。僅かな労力を融資し、後日たんまりと利息を取られるのではないか。
コンツェチームへ後日届くであろう請求書の「0」の数が気になるところである。
この後、藤田氏のライジャケが汗で膨張するハプニングがあった。予想外のボンベ交換費、ご愁傷様である。
《編集後記》
今回は、いつもと逆の東風で始まり、それが時間と共に弱くなり、さらにそこに強い淀川の流れが重なるという過酷なレースであった。
淀川河口部は大阪湾最深部にあるバミューダ海域である。風と河の神様への祈りを怠った艇には、しっぺ返しがあり、逆にひたむきなセーラーは見捨てられることはない。記者は幸い早めにフィニッシュできたが、後続艇にとっては、西風が微笑んでくれるまでは、本当に大変なレースであったと思う。最後まで頑張られた皆さん、心から「お疲れ様」と申し上げたい。
紙面も終わり近くになったが、本日のレーススタート前に、コンツェチームの近くを通られた艇の雄姿を紹介して、そのご苦労を労いたい。残念ながら参加艇全てを撮影できたのではないので、その点はご勘弁いただきたい。今後もクラブレース参加各チームの雄姿を紙面でご紹介していきたい。![]()
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《新着情報》
さて、次回9月11日のクラブレースには「エオリアチーム」が新艇でデビューされるとの噂がある。
同チームの髙井氏は今回も「たけなわ」でコミッティを務めて下さった。早くレースに参加したいという気持ちをずっと抑えて来られたはずである。
いよいよ来月にはその秘めたパワーを爆発させる機会がくるのである。各艇の皆さん、今後はニュー・エオリアチームが要注意である。
チャンスがあれば、記者もレポートを試みます。
では、また次回。(了)2011年夏・Constanze 徳島旅日記 《 旅の始まり 》
皆様、暑中お見舞い申し上げます。(本紙が皆様のお手元に届く頃は、ずっと後かもしれませんが、当時としてご了承ください。)
暑さはこれからです。体にはご自愛いただき夏を乗り切りください。
さて記者ジェームス・UはConstanzeチームの四国お遍路の旅に同行して、徳島へと脚を伸ばしてまいりました。
記者は以前からコンツェチームより四国お遍路の旅にお誘いいただいていたが、諸般の事情により、今夏初めて同行させていただくこととなった。記者自身、阿波への入国は初めてであり、少しウキウキしながらの旅となった。
8月13日1230時「大阪駅」を出発。磁方位270度で進み、明石手前にて230度へと転針し、鳴門海峡縦断の後、同日1530時「徳島駅」へ到着しました。そうです、記者は梅田阪急三番街を高速バスで出発し、クーラーの効いた席でうたた寝をしながら、陸路、阿波藩・蜂須賀家城下街へ入ったのです。北港YHから回航された方々、炎天下本当にご苦労様でした。《 ご接待 》
ConstanzeとEaryBirdが舫わせていただいた桟橋は、先の天神祭奉納レースにも参加いただいた森野氏のお世話で、絶好のロケーションで泊めさせていただきました。ここにお礼申し上げます。![]()
さて森野氏、俳優の「高橋克美
風の男前です。(若い奥様が居られるかどうかは確認しておりません。)
コンツェチームとアーリーチームはこの夜、同氏のお誘いで食事をご一緒させていただきました。
徳島市内両国橋近くの「たつみ」というお店で、大阪ではなかなか味わえない刺身・寿司を堪能させていただきました。流石に鳴門秘帖のお国です。お魚がコリコリしている。深き感謝の気持ちを込めて、ここに森野氏のご尊顔と同夜のお料理の一部を紹介させていただきます。![]()
数々の料理の中の一番は「鰻」でした。お座敷の面々は「たれ焼き」を楽しまれましたが、カウンター席の記者と若手3人はお店のご主人お勧めの「白焼き」をいただきました。この「白焼き」は絶品で、鰻の淡白な味が山葵醤油により微妙に変化し、これがウナギかと思うような味を楽しめました。ごちそうさまでした。
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絶品 鰻の白焼き ![]()
食事の後は、両チームは明日の健闘を誓いながらお別れし、コンツェチームは、森野氏のご贔屓のお店「かじさき」へ河岸を変えました。記者はお店のママさんをお遍路姿の似合う年配の方と勝手に想像していたのですが、然にあらず。なかなかの和服美人です。阿波踊りの国らしく三味線が置かれたお店でベテランと若手が、純粋に自慢の歌声を競い合い、徳島の夜を堪能しました。
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コンツェチームの若手三羽鴉、高田君、岡村君、亀山君。この3人の歌い方も流石です。ベテラン組は単独で歌いますが、この「三羽鴉」は先ず、高田選手が先陣を切り、途中コーラスとして岡村選手が中押し、取りは亀山選手が見事に余韻を響かせる。ここにもVISのチームワークの良さが伺えます。最後になったが、一つ報告しておきたい。
今更説明の必要もないことではあるが、四国はお遍路の国です。勿論、徳島の方々の心に「ご接待」のお気持ちは深く根ざしておられます。今回の「ご接待」も、その実「談合接待」ではないのか、というお疑いがあるやも知れない。
しかしながら、そのお考えは杞憂に過ぎなかった。アーリーチームは、気を緩めることなく、翌日のレースでも森野氏のチームを追いかけて、それなりの成果を上げておられた。流石である。
他方、コンツェチームは、翌日のレースでビリ近くまで沈んでしまった。(チョット悔しい!)
この両チームを見れば、ギブ&テイクの事実はなかったのである。《 阿波踊り 》
さて、記者は初めて阿波踊りを生で拝見した。その感想にも少し紙面を頂戴しよう。この阿波踊りは徳島駅周辺の各演舞場を中心として行われる。ここで踊ることが許される有名連の女踊りの嫋かさ、男踊りの軽妙さは見ていてため息すら出る。しかしながら、阿波踊りは、演舞場だけでなく路地角でも数多くの連が行っており、ここでは誰でもが参加できる。ここが泉州のだんじり祭りと一味違う点であろうか。特に女踊り手は笠のおかげでスラリと見え、さらに陰影が加わり、得も言えぬ色気を醸し出している。記者は長い時間観ることはなかったが、各連の囃子方が太鼓と鐘、さらに笛で奏でる強烈な2ビートの音色には圧倒された。その音色は大きくなったり小さくなったり、さらに早くなったり緩くなったりと踊り手と観客を煽り、知らずうちに陶酔感に浸り、時が経つのを忘れてしまった。
少しマニアックであるが、演舞場での女踊り、これは基本的に隊列を組んで流れるように踊って行かれるが、これを前ではなく後ろから眺めてみると面白い。記者は、この女踊りについては踊り手の技量で上セブンやセンターが決められていると想像していたが、どうもそうではないらしい。隊列の後ろの方にも結構上手な踊り手は居られたし、一人一人の腰の振り具合、脚の上げ下げには微妙な違いがある。
記者個人的には、脚をさっと上げてソロリと下ろされる動きに、AKBやNMBとは違う色気を感じてしまう。皆さんも少しマニアックな視線を見つけられてはどうであろうか。![]()
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《 阿波踊りレース 》
さて、翌14日の阿波踊りレース、今年は徳島から南下して橘湾方面への往復約25マイル程のコースが指定された。
スタート前 天神祭奉納レースでも活躍された森野氏のチームである。![]()
コンツェチームはスタートで少し出遅れてしまい、風を掴めなかったので、途中から沖出しして一発逆転を狙ったが、これが裏目に出てしまった。事前のご接待の席上では陸沿いがベストと聞かされていただけに、それをチームとして活かせなかったことが悔やまれる。
Constanze チーム フィニッシュ直前の後続艇
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レース中も記者はライバル・アーリーチームの帆影を探したが、同チームは、天神祭奉納レースの際の反省を踏まえて、記者の目を避けるように陸沿いを一気に駆け抜け、コンツェチームの遥か前を走り切られた。アーリーチームは前夜の前哨戦(ご接待)でも静かであり、夜も艇に不寝番を配置しておられた。今更ながら、これらがコンツェチームへの情報漏洩を防ぐ深謀遠慮であったとすれば納得できる。同チームの「してやったり」の高笑いが聞こえるようだ。
(コンツェチームより「今回は降参ですが、次のクラブレースでは借りを返します。」との談話が届いている。) (記者も疫病神であったかも知れない、反省しております。)《 編集後記 》
徳島・ケンチョピアマリーナは北港YHからの遠征には絶好の地である。徳島港を入ると先ずフェリー(自衛艦であれば尚良いのだが)が狛犬として我々を歓迎してくれる。そしてその奥の鳥居(本当は県道の紅白の高架橋)が阿波ヨットマンの神域へと導いている。阿波踊りレースは、この神域のお膝元で、美しい海と緑濃い山影を背景にしたコースで競うものである。素晴らしい環境である。残念だが、大阪・淀川河口では望めないロケーションと言える。
夏のコンツェチーム・徳島お遍路の旅は「毎年徳島から始まり徳島で終わる」と聞いており、少し首を傾げていた。まあ、お遍路というのはお題目で、実体は阿波踊りレースへの参加と言うことは承知していたので、札所巡りまでは行かずとも、近くの神社で戦勝祈願は行うものと考えていた。しかしながら現実は大きな子供の夏休みに終始したのであった。
絵日記帳も宿題もほったらかして、盆踊りと夜店に夢中になっていたのである。(記者も良い思いをしたので文句は申しません。)
しかしながら、レースではもう少し上位に進出したかった。チームオーナーは来年に向けて準備に入られているようである。記者も来夏、再び阿波へ来て、高橋克美さんにお会いして、レースにも今年以上の成績を残したいと誓った次第である。これをお約束して今回の徳島旅日記を終えさせていただく。 では、また。(記者はコンツェチームをほったらかして、バスで帰阪しました。回航された皆さんゴメンナサイ。)(了)
[ 写真提供: 山ちゃん、記者]
2011年全日本ミドルボート選手権始末
どうも、どうもどうもどうもイモトでござ・・、いやモトイ、記者Uでございます。
今回は、Sun-Luckさんに乗り込み、8月6日・7日に西宮一文字沖で開催された全日本ミドルボート選手権からレポートをお届けします。
冒頭、チームオーナーの杉山氏にこのチームに加えていただいたことへの感謝を申し上げます。そしてこのチームへ快くお送り出していただいた近藤氏と中村氏にもお礼申し上げます。今回のチームはオーナー・ヘルムスマンの杉山氏、ボースン・メイントリマーの村田氏、ジブ、スピントリマーの田渕氏、藤崎氏、キーボードの楠美氏、バウの山野氏という、記者を除けば、働き盛りの高給取り軍団である。
記者が杉山、村田、山野の3氏と一緒にレースに出るのは、OHYCのニュージーランド遠征・I.P.Y.C.以来のことであり、懐かしさと共に自らがチームが期待する働きができるかどうかの不安を抱えての乗艇となった。
いつものようにレースの公式結果はHP等でご確認いただきたいが、一応結果のみお伝えしておこう。残念ながらブービーであった。
こんな成績では大きな顔での投稿できないが、今回は、記者がレガッタで感じたことや、自らの反省点等を述べてみたい。が、あくまで記者の勝手であり、間違っているというご指摘もあろうし、愚論とのご意見も出るであろう。さらに、別のお考えを示していただけるかもしれない。しかしながら、OHYCの発展の為と信じて書き纏めてみた。
では、レポートに入ろう。[ レガッタ遠景 ]
古い時代のレースと言えば、出港の際の各艇独自のテーマソングやフォアステイに掲げられる大きなチーム旗が象徴的であったが、今はそのようなツールは姿を消し、各艇とも乗員のUV対策とライフジャケット等の安全グッズに趣向を凝らすことが主流となっている。
昔、ハーバーでは日焼けした姿の男女が闊歩していたが、今はUV対策とクールビズで決めた姿が当たり前となったようである。
また、今回のレガッタでは女子の姿が極めて少なかったのも印象的だ。
あの時代、各艇のスターンには、一見、妙齢の女性の姿が必ずあったが、今はない。これはレースへの意気込みへの高さを示すものかもしれないが、目を一文字堤防の内側へ向けると、同じ時期にディンギーの関西選手権が行われており、そこにはナイスバディーをウェットスーツで包んだ美貌(記者の幻想か?)のセーラーが数え切れない程居られた。ミドルボートに少し物足りなさも感じたのは記者だけであったろうか。[ スタートの陣取合戦 ]
いよいよ各艇が海面に揃い、カウントダウンが0へ向かう最終局面での位置取りの鍔迫り合いには、昔も今も、厳しいものが見られた。スタート直前にはスタートライン上を往復する艇団とマーク外へ一旦出でから合わせてくる艇団とがガチンコで陣取り合戦を繰り広げることとなった、記者にはマーク外からスタートラインに合わせてくる艇に少し歩が悪かったように思える。
他方、シモ艇がカミ艇を突き上げてリコールさせるという極端な戦術はあまり見られなかった。これは各艇の位置取りの上手さもあるが、カミ艇を突き上げることでの自艇がリコールに陥ることを避けて、スピードを維持してスタートラインへ向かうタクティクスを徹底されているのであろう。
スタート時に第2列に下がることは大きなハンデを負うこととなる。しかしながら第一列を確保できれば、多少不利な位置であっても挽回する自信があるのだろう。実際、スタート時での差を第1上マークで逆転して、そのままレースの結果へと繋げていた艇もあった。
我らSun-Luckは第1レースでは様子見の気持ちがあったのか、2列目からのスタートとなり、完全にレースを失ってしまったが、以降のレースでは良いポジションを取ることができた。が、それにも拘わらず、その後のライバル艇に挽回されることが多く、順位を上げられないこととなってしまった。スピード・上り角度では目に見える差はなかったので残念である。
念の為申し添えると、上位進出艇は、スタートも走りもやはり抜群でした[ 上・下マークでの役者振り ]
上・下の各マークは艇の力量がストレートに表れる檜舞台である。チームが一体となって動かねば、ここで順位をずるずると落すことともなる。
真夏のお天道様が強烈なスポットライトを浴びせている下でのミスは、他艇や報道関係者からの笑いさえ誘う。
バウチームの記者は一抹どころか三抹ぐらいの不安を抱えての檜舞台を迎えていた。記者は山ちゃんとのお付合いは長い、だがその大半がメルボルンハウスでのパーティーでの席上である。不安が無い方がおかしいのだ。
バウチームの作業の中で、最も気を使うのがスピンダウンであることに異論はなかろう。
スピンダウンに向かう時、コックピットチームからアプローチ方法の指示を受けた後、ジブアップ・スピンダウンの開始時期をコールするのはバウチームの責任となる。
今回スピンダウンで小さなミスにより大きな失敗を犯したことがあった。小さなミスとはスピンダウンのコールが遅れであり、大きな失敗は、遅れが慌てを呼び、スピンをジブシートの上から回収したことである。これが元で2艇に抜かれ、最後まで挽回できずにそのレースを終えることとなった。ボラにも後ろ指を指される失態である。
バウチームの能力に応じたタイミングでのコールが不可欠と言えよう。
順序は逆になったが、スピンアップについては、ポールアップのコールのタイミングがポイントであり、少々遅れても、上マーク回航後に落ち着いて作業すればOKである。
その楽な作業である、上マーク直前で山ちゃんが足を滑らせて落水しかける事態が発生した。艇はポールアップを完了し、記者はスピンハリヤードを引く体制にあった。記者は助け上げるべくデッキを移動したが、コックピットチームから救助を後回しにしろとの指示が出たらどうしようかと、緊張の一瞬となった。幸い、山ちゃんはボラと名刺を交換することなく職場復帰し、人命救助とレース続行とを天秤に掛けた笑い話として、レース後に華が咲くこととなった。山ちゃんはやはり千両役者である。
今回のレースでバウチームは、自己採点で「良程度かと自惚れている。
だがバウチームは常に満点を取らねば、チームの士気自体を崩すこととなりかねない。
そして、練習を積み自信を持てても、チーム内での口頭確認をしなければミスは必ず出る。バウチームは常に行動開始の前にシミュレーションを行うことが肝要であろう。
敢えて僻み根性で言えば、マーク回航におけるコックピットチームのミスは目立たないから羨ましいと思う。とは言うものの、コックピットチームはレース中ずっと筋トレをされているが、バウチームはスピンアップ中だけが営業時間であるから、文句は言えない。
ボラのジャンプを見て楽しむ時間ですらあるのだから、やめられない商売とも言える。[ スピンラン ]
ここではヘルムスマンと各トリマーとの呼吸が大切であることは言うのを待たないが、もう一つ大切な作業がある。
今回もあるレースでライバル艇をリードして最終スピンランに入ったが、ラインを外へ持ち出し過ぎたのか、フィニッシュ直前にライバル艇にスルリと内側へ入られてしまい、順位を逆転される事態があった。フリートレースと雖も目の前に居るライバル艇を抑えるのは当然であるにも拘わらず、記者はライバル艇の動きをコックピットチームに伝えることを怠ってしまい、悔やみきれない結果を招いてしまった。[ 自己採点 ]
こんな事を繰り返しながらアッという間に2日間6レースが終わってしまい、チームとしては不本意な成績で幕を閉じることとなった全日本参戦であった。
全日本という冠が付いたこの大会では、参加艇は殆どミスをされていない。ほんの小さなミスでも、大きな跳ね返りを受けてしまう。
個の力を和のパワーへと昇華させ得なかった自らを反省し、杉山氏には改めて感謝の気持ちと共にお詫び申し上げたい。
記者は自らを傭兵たらしめんと気合を入れて乗り込んではみたものの、実際には役にも立たない派遣社員でしかなかったことを露呈してしまった。派遣元へのクレームが気になるところである。
誠に勝手であるが、反省があるということは、記者個人的には勉強になったことが多かったということでもある。記者同様、傭兵として参加された藤崎氏(記者と違い傭兵として大活躍であった)も満足はされていないと思う。
記者は再び派遣元へと戻り練習と実戦を積むこととなるが、今回の大会で得た経験を今後に活かすべく励みたい。もしリベンジの機会を与えていただけるのであれば、次回には有能になった派遣社員の姿をお見せしたい。
最後に今回のメンバーのお顔を紹介しておきたい。![]()
[ 亜麻色の髪の乙女 ]
最終レースが終わり、新西宮Y.H.へ戻って来た際、ベラドンナ風のヨットとすれ違った。その艇上から美しい髪の乙女が手を振ってこられた。皆の目が向いたことは言うまでもない。セーラー服やメイド服も嫌いではないが、デッキ上で風に髪をなびかせる女性の方が好みである。OHYCでは最近このような女性が少なくなりましたね。気のせいかな。[ 編集後のつぶやき ]
今回のレガッタでは参加した艇種は自然と限られたが、その中でもX-35の性能は素晴らしかった。スピード、上り角度とも群を抜いていた。このサイズの艇は平均的な日本人週末セーラーが思うどおりに操船できる上限と思うが、それでも十分な練習を積まねば結果は付いてこない。草レースと雖も、コンビネーションが取れた乗員が必要な人数だけ揃わないと、願う結果は得られないのではないかと感じた。いかがでしょうか。
今回も当事者、関係者への取材は一切行わずに、記者が見た限りの範囲で記事を書いた。
従って、関係諸氏におかれては、何卒寛容のお気持ちでお読みいただけることを願いたい。
次回は徳島の阿波踊りレースでお会いしましょう。(了)